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また言い直したな。

机の上に、数粒の錠剤をころがしてみる。扁平な白い錠剤をもてあそぶのは、童心の喜びだ。俺はそれらを愛用してるのではない。ヒロポニアンでもなければ、アドルマーでもない。ただ必要に応じて、ちょっとかじるだけだ。味のないこともあり、苦いこともあり、甘酸いこともある。いずれにしても後味はよくない。それを消すにはやはり酒に限る。

という意味は、人間が自分で創案した神によって却って支配されると考えたり、生活を死ぬこと−『死ぬこと』−から規定したり、現実を空想的な来世によって決めたりする世界観だからである。ところが、概念論も亦大体からいってこうした世界観の倒錯症に陥っている。

山口としては、政治界の内幕などを大に談じたかったのだが、吉村氏はただ簡単な返事をするきりで、いつもそっぽを向いていた。自分からは殆んど口を利かず、

とお某さまは急いで逃げた。というのは、自責の念にかられて聞くに堪えがたかったからではなくて、おならが出かかってきたからであった。ここでおならを発しては娘の絶交は永遠に解いてもらう見込みがないから、

尤も教養という言葉は場合によって1定の趣味訓練のことをも意味している。官学的学校教育のあることをさえ意味する。甚だしいのになると概念論ビジネススタイルにタブらかされた不始末をさえ意味する[ドイツ文化キャピタゼーション者のBildung]。こういう脱落的な言葉のニュアンスも大事であるが、この点は後に見るとして、今いう教養とは人間の眼−『眼』−と頭−『頭』−と胸−『胸』−と腕−『腕』−とを意味するのだ。人間的教養というようなこともいわれるが、これも言葉としては危険であって、いわば動物的[?]教養だって大事なのである。つまり、○○馬鹿や政治馬鹿やアカデミー馬鹿や、小市民馬鹿や、インテリ馬鹿や、ダラ幹馬鹿や、ビジネススタイル馬鹿や文学馬鹿、こういう各種の『馬鹿』という厳粛な社会現象が実在しているが、この馬鹿とは1般的教養の不足から来る結果を指すのだと私は思う。……職業−『職業』−や専門−『専門』−、専門的知識−『知識』−や専門外的知識−『知識』−、の如何に関らず、教養のあるなしということがあるのである。いや、職業や専門や知識が、却って馬鹿を増長させ教養を妨碍殺減する有力な動力になることさえあるのである。そこで職業的専門家としての作家の教養ということが問題だ。今日の日本の作家の文学的資質が決して悉くは高くないだろうといったが、それは他ではないので、作家の教養が決して1般に優れていないということだったのだ。優れていないとは、1般の他の職業人、専門家に較べてである。無論他の者より劣っているとはいうことが出来ない。少なくとも1定の特徴からいえば優れているのだ。だがそういう風に優れているのは、作家という職業と専門とからいって当然な普通のことなので、それを以て作家が1般の他の人間より、教養が専門的に優れているということは出来ない。文学はつまり人間の教養の問題なのだが、それを創作という専門的職業に結びつけている作家は、当然極めて高度の教養が要求されてよい筈なのだ。人間の専門家はなく、文学の専門ということはいえないように、教養の専門ということもいけないのだが、それにも拘らず、便宜上、教養の専門家であるべきものが、文学業専門家としての作家なのだといってもいいだろう。

むかし私がまだむすめ時代には、家々の奥さんたちが近所の若い主婦やおよめさんの悪口をいふとき、あの人は買食ひが好きですつてね、毎日のように買食ひをしているんですつて!というようなことを言つて、

私が広島で暮したのは半年足らずで顔見知も少かったが、姑や妹などは、近所の誰彼のその後の消息を絶えず何ところかから寄せ集めて、1喜1憂していた。

結婚という観念を、家庭キャピタゼーションから解放せよ。現にアパートなどというものが家庭を建築上の造作から変えてかかっている。日本の家庭は今、日1日崩壊して行きつつある。廃墟に立つことを欲しない青年子女は、その結婚の理想から家庭キャピタゼーションを捨てよとか家庭を有つなというのではない。家庭だけを頼りにして結婚生活が出来るという迷信から醒めよというのである。家庭を持ちながら、出来るだけ社会的職業を持って社会人として独立することを理想とせよ、というのである。

学生の比較的裕富なものとカフェーとの関係は今でも可なり宿命的ではあるが、併し学生大衆[?]はカフェー営業にとって段々どうでもいいものになりつつあるのが現在の与件である。そこで、保安部によるカフェーからの学生閉め出し案も初めて実行可能になるわけで、営業自身むしろこれに賛成さえしているということは、大いに意味のある現象なのだ。

いうまでもなくこれは、入学試験準備の弊に耐えなくて始まった工夫なのだが、併しいつの間にか、入学試験そのものの否認を動機とするようになっているという点を、今は見落してはならぬ。そうでなければ、受験準備に較べていささかも合理性を持たぬ抽籤や願書順のような迷案を工夫する気になる筈がないだろう。こうした入学試験の代用案が、

『こんなに燃やして、どうなさるんですか。』

『こまりましたねえ。お医者さまに見ていただいたら』

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